2021年6月に156億円の資金調達に成功し、推定評価額1731億円のユニコーン企業となりました。ここでは事業立ち上げからユニコーン企業になるまでのビジネスモデルと戦略の変遷を解説します。
SmartHR(スマートHR)は、IT系ベンチャー企業の株式会社SmartHRが開発・サービス提供を行うクラウド人事労務ソフトのことです。
この記事の執筆時点で、採用企業が4万社を超えているので、人事や採用に関わる読者の皆さんの中には実際に会社で使われている方もいるかもしれませんね。
今回は、2015年にたった3人で立ち上げたSmartHRが、わずか6年で累計238億円を投資家などから調達し、評価額1731億円の日本有数のユニコーン企業に成長するまでのビジネスモデルの変化をわかりやすく図解します。
なお、下記のnoteにはサクッと読めるダイジェスト版も公開しています。
SmartHRのビジネスモデルとは?
SmartHRを一言で表現するなら、労務関係の面倒でわかりづらい書類手続きがとっても楽になるソフトウェア。
会社の人事労務担当者は、雇用契約、社会保険、年末調整などなど、年がら年中、面倒な労務関係の書類の書類に追われています。それをITの力で効率化して、人事労務担当者を助けるのがSmartHRです。
こちらの動画を見ると、どんなサービスなのかイメージをつかめるかもしれません。
このSmartHRですが、冒頭でもご紹介したように2021年6月に投資家などから156億円を調達し、推定評価額1731億円のユニコーン企業となりました。ちなみにユニコーン企業とは、創業10年以内で評価額1000億円を超える未上場のIT企業のこと(ウィキペディア:ユニコーン企業 )です。
SmartHRを開発運営する株式会社SmartHR(株式会社KUFUから社名変更)は、2013年1月設立なので、創業から約8年でユニコーン化。SmartHRのリリースは2015年11月ということで、サービス開始から数えれば約6年でユニコーン化したことになります。
今回は、このSmartHRのリリースからユニコーンになるまでのビジネスモデルと事業戦略の変遷とそのビジネスモデルを追っていきたいと思います。
たった3人で始まったSmartHR
SmartHRの開発は、2015年ごろまで遡ります。こちらの記事 によるとリリース前の2015年7月時点では、社長+エンジニア2名という状態で、労務関係の課題を手探りで把握していた状態だったとのこと。
その後、クローズドβ版を200社ほどに提供 しながらサービスの改善を重ね、2015年11月に「TechCrunch Tokyo 2015」というイベントで最優秀賞に輝くと同時に正式リリースを果たしました。
この正式リリース時のSmartHRのビジネスモデルを図解すると以下の通り。

ちなみにビジネスモデルの図解は、システム思考におけるループ図という手法をベースに、独自にアレンジした形式で表現しています。
以下の記事でループ図について詳しく解説していますが、このまま読み進めてもまったく問題ありません。
それでは順を追って、戦略とビジネスモデルを読み解いていきましょう。
未開拓の人事労務効率化市場への挑戦
SmartHRが狙いを定めたのは、人事労務の効率化市場。当時は、まだまだ未開拓でプレイヤーも少ない、ブルー・オーシャンと呼ばれる市場 でした。
市場参入のキッカケは、当時の社長である宮田氏が社会保険制度によって助けられた経験と、経営者として感じていた労務管理の煩雑さであることは、当時のプレスリリース記事 でも語られています。
SmartHR事業では、この「人事労務効率化市場」において価値を提供し、対価を得ることが必要です。

上図のように、人事労務の効率化というニーズを持つ市場を開拓するだけでなく、そこからSmartHRというSaaS(Software as a Service)を、いかに長期的に継続利用してもらえるか(上図の「継続顧客数」をいかに伸ばすか)が事業の鍵になります。
ということで、ここからはビジネスモデルをループに落とし込んでみます。
顧客の母数を増やす信頼性のループ
SmartHRのビジネスモデルを構造化すると、2つのループで構成されていることがわかります。
まず1つ目のループは、SmartHRというブランドの信頼性を高め、顧客となる企業の母数を増やすループです。

つまり顧客を増やしていくためには、上記のような、
- 導入する会社が多いから信頼性が高まる
- 信頼性が高いから導入する企業が増える
というループを回す必要があります。
しかし逆に言えば、実績が少ないほど信頼性も低く、成約しにくいということ。
法人営業の経験がある方なら実感いただけると思いますが、営業先の担当者から必ずと言っていいほど「導入実績は?」「活用事例は?」「どれくらい効果があるの?」という質問が浴びせられます。
実績のない会社ほど、B2B事業は戦いにくいのです。
ではSmartHRはどうしたのか?
当時の様子がわかる記事 では、
- プロダクトがない状態でfacebook広告(2万円)で事前登録を募る
- 事前登録者から30〜40社ほどのヒアリングを実施する
- ヒアリングした課題をもとにプロダクトを開発する
- 事前登録者からベータ版への本登録を促す(しかし登録率は低かった)
- 数多くのテック系イベントに参加して社長がベータ版を直接営業する
といったことを行なったようで、結果としては正式リリースまでに約200社ほどユーザーを集めた ようです。顧客の規模は50人未満がほとんど ということで、いわゆる中小企業です。
初期ユーザーのほとんどはIT企業だったので、正式リリース後もIT企業を中心とした導入が進みました。
つまり、IT企業の導入実績が得られたから、IT業界でのブランドの信頼性が醸成され、IT企業を中心とした顧客獲得が促進されたというループが回ったということです。
ちなみに初期から利用しているユーザーには、従業員がまだ300名に満たなかった上場前の「メルカリ」 もいます(執筆時点では連結での従業員数が約1,800名@執筆時の有価証券報告書)。
HR業務の効率を改善して継続顧客を生むループ
2つ目のループは大きく外側を回る、顧客の業務効率化を実現するこちらのループ。

こちらのループは「資金を何に投資し、そこから何を得るか」という、ビジネスモデル上で重要なものになります。
SmartHRで生み出すべき価値は、顧客の人事労務に関連する業務の効率化(ループ左側)です。ここが本事業の主戦場となります。
顧客の人事労務の効率化が実現できれば、
- 優れた顧客体験が得られ、顧客のロイヤリティが高まる
- SmarHRへの業務依存度が高まり、スイッチングコストが高くなる
という流れが生まれ、結果として顧客が継続してサービスを利用します。
一方、この人事労務の効率化という価値を生み出すためには、
- 人事労務ノウハウの蓄積と適用
- UX/UI改善活動(ユーザー体験と使い勝手の改善)
を進める必要があり、そのために資金を投入しなければなりません。
SmartHRは、どのようにこのループを回し始めたかというと、
当初は、代表とエンジニア2名という労務に関する知見のない3名で、労務関係の書籍やヒアリングを元に手探りで労務業務の課題を把握するところから始めました。(Qiita Zine )
と語っている通り、他の事業で確保した予算と、代表+エンジニア2名という最小のプロジェクトチームでサービスを形にしていきました。
また前述したように、少額のfacebook広告から潜在顧客を集め、課題をヒアリングすることでサービスやUX/UIの設計を行なっています。
上記のPeatixの記事に当時の様子が詳しく記されていて、「受託開発でゾンビになる」「机上の空論で開発しちゃう」「プロダクトを作りこみがち」といった失敗談を挙げられていました。スタートアップを目指されている方には大変参考になるかと思うので、ぜひご覧になってください。
ビジネスモデルの要は「ブランドの信頼性」と「顧客のHR業務効率化」
ここまでご紹介した2つのループが、SmartHRのビジネスモデルの基本構造となります。

改めて全体を見てみると、
- ブランドの信頼性
- 顧客のHR業務効率
を向上させることによって、
- 継続顧客数
を増やすことが事業の拡大につながります。
SmartHRは、これらの要素をどのように育て、評価額1000億円越えのユニコーンにまで成長したのでしょうか?
リリースから2ヶ月でシード追加資金 4000万円を調達
SmartHRは、正式リリースから間もない2016年1月にEast Ventures、DGインキュベーション、BEENEXTから増資によって4000万円を調達 しています。
実は正式リリース前にも3000万円を調達していて、これらを加えればシード期に合計7000万円を調達していたことになります。
SmartHRは、これらのシード追加資金を何に投入したのか。

それはプロジェクトメンバーを増やし、
- UX/UI改善活動
を強化すること。そして、
- 連携可能サービス数
を新たにループに加え「顧客のHR業務効率」のループを強化することでした。
当初は社長+エンジニア2名の計3名でスタートしたプロジェクトも、4000万円を調達した頃には、10名程度まで増やして います。
2016年4月までに、エンジニアは倍増して計4名、加えてデザイナーも1名。さらに、顧客対応が2名に、営業1名、マーケティング1名を配置しています。
人員配置としては、新規顧客の開拓よりも、既存顧客への提供価値の向上に重きを置いていますね。
この結果、
- 2016年3月:電子申請に対応
- 2016年5月:電子申請窓口API「e-Gov」対応ライブラリを公開
と、開発速度が加速し、顧客の利便性が向上します。
また時期を同じくして、開発者向けに「SmartHR for Developers 」を公開し、クラウド給与計算ソフト「MFクラウド給与」、クラウド型採用管理サービス「Talentio」、クラウド型勤怠管理システム「AKASHI」、クラウド型業務サービス「board」など、クラウドサービス4社との連携を発表 するなど、外部サービスとの連携も大きく動き出しました。
そしてリリースから半年が経過した2016年6月、導入企業数は1,000社を超え 、顧客数が5倍になりました。数百名規模の従業員を持つ企業も導入しはじめているとのことで、主要な顧客が徐々に変化していることも見受けられます。
その後、2016年8月30日、投資ラウンドのシリーズAとして5億円もの資金を調達 します。
この5億円を手に、SmartHRはどんな手を打ったのか?
5億円(シリーズA)の資金調達と新たな3つの打ち手
前回の資金調達から間も無く、SmartHRは2016年8月に5億円を資金調達しました。事業成長の初期段階なので、「シリーズAラウンド」の資金調達になります。
この時には顧客数が1,700社を超え、プロジェクトチームも20名に増え ています。同時に、調達した資金で更に35名まで人員を増やすことも語られています。
前回の資金調達からわずか7〜8ヶ月しか経過していませんが、順調に事業が成長していることがうかがえますね。
この成長を更に加速させ、ループを回転させるためにはどのような打ち手が必要なのか? あなたがSmartHRの経営者なら、5億円を何に使うでしょうか?
実際にSmartHRが5億円の調達後にとった打ち手は、
- ¥0プランの導入
- テレビCM
- カスタマーサクセスチームの設置
の3つです。
「¥0プラン」の導入で導入ハードルを押し下げる
まずは2016年9月に導入された「¥0プラン」 から。
「¥0プラン」はその名の通り、無料でSmartHRを使えるサービスです。
- 従業員数5名以下
- 一部機能制限あり
といった条件もありますが、使用頻度の低い小規模事業者には嬉しいプランですよね。

SmartHRにとっては、従業員数5名以下の顧客から収益が得られなくなる(「利益・資金」にマイナスの影響がある)ので、資金繰りが厳しい時には踏み切るのが難しい策です。しかし、5億円を調達したことで、資金的な心配は無くなりました。
また、「¥0プラン」によって「導入ハードル」が下がる結果、顧客数の増加を促し、「ブランドの信頼性」というループに良い影響を与えます。お金にはなりませんが、導入実績はどんどん増えるでしょう。
つまり、
- 調達したお金を「ブランドの信頼性」に変換する
という作用が強い打ち手と言えます。
実は、この「¥0プラン」の導入以前からも「15日間トライアル(試用期間)」などは設けられていました。しかし、消費者に与える選択肢は大きく異なります。
「15日間トライアル(試用期間)」の選択肢は、
- 15日後に有償で使い続ける
- 15日後に解約する
の2択です。
SmartHRにとっても、顧客を維持できるか失うかの2択になります。互いにリスクは大きい。
他方、「¥0プラン」の選択肢は、
- 従業員数5名以下で、一部機能を無償で利用する
- 従業員数5名以下で、全機能を有償で利用する
- 従業員数6名以上になったら、全機能を有償で利用する
- 従業員数6名以上になったら、解約する
という4択です。
選択肢の分岐も「使用日数」から「従業員数」に変化し、時間に迫られた意思決定ではなく、従業員数という合理性を含む意思決定が求められます。SmartHRにとっても、解約されるリスクは減少しています。
執筆現在では、無料の枠が従業員数30名以下まで拡大していますが、当時以上に顧客基盤の強化に貢献しているはずです。
初のテレビCMでブランドの社会的信頼性を醸成する
その次の一手は、初のテレビCM です。
2017年8月18日から、首都圏でSmartHR初のCMが流れ、公共交通機関のサイネージなどでも動画が配信されています。

CMの範囲は首都圏に絞られていますが、法人数も多く、人口の3分の1が集まる地域なので、広告効率はかなり良いはずです。
CMには俳優の田中要次氏を起用し、テレビ・映画・ドラマで見かける顔でブランドの信頼感の醸成につながっています。(資金調達後のスタートアップがCMに俳優さんを起用するケースはよくありますよね。)
ちなみにSmartHRの従業員数が28名の時にCMを打つ意思決定をしたとのことで、資金があれど、かなりの勇気が必要だったと思います。
サポートからサクセスへ:顧客提供価値の底上げ
次に行ったのは、「カスタマーサポート」を「カスタマーサクセス」に置き換え、1名体制だったものを5名体制まで増やしました。
2つの違いは、
- カスタマーサポート:顧客の問題を解決する
- カスタマーサクセス:顧客を成功に導く
ということ。
例えば、顧客に従業員データの入力方法を教えるのがカスタマーサポートで、顧客の労務作業が楽になる方法を一緒に考えるのがカスタマーサクセスです。(加えて、サクセスはサポートの業務も行います。)

カスタマーサクセスには、顧客が人事労務でどのような課題を持ち、SmartHRを使う上で何につまずき、どのようにすれば効率化が実現できるか、という情報が集まります。
つまり、サクセスはサポート以上に、
- 人事労務ノウハウ
- UX/UI改善活動
などの要素にプラスの影響を与えるのです。
この結果「顧客のHR業務効率」が大幅に改善され、「顧客体験」や「スイッチングコスト」などの要素を向上させることにつながります。
もちろん、この流れを実現するにはエンジニアなどの開発体制が必須なので、カスタマーサクセスを立ち上げる前に、エンジニアなどの人材確保も必要となります。
なお、5人体制のカスタマーサクセスになった時点(2017年12月)で、SmartHR全体のスタッフは30名を超えていたようです。
順調にループの強化に投資を続けるSmartHRは、この翌月さらなる資金調達を実現します。
その額は15億円。
15億円(シリーズB)の資金調達と成長戦略
SmartHRは、2018年1月に15億円の資金調達を果たします。
今回の「シリーズBラウンド」の資金調達は、事業が軌道に乗り、利益を生み始め、さらなる成長が期待される段階で行う資金調達です。つまり「事業の勝ちパターンがある程度明確になった」ということ。
資金調達には、SPV(Special Purpose Vehicle、特別目的事業体)を経由した方法で行なっています。
ここではSPVについて詳しく説明しませんが、以下のカルアパ氏の書かれている説明が分かりやすかったので、詳細が気になる方はぜひ読んでみてください。
簡単に言えば、別会社を作って投資家のお金を集め、利益が出たらその会社を使って配当などを行う、という仕組み。
今回は、直接ではなく間接的に15億円の資金調達を行なっています。
また、プレスリリース では調達した15億円を、
- SmartHRの開発費
- 人件費
- マーケティング活動費
に投じることが言及されています。
ここまでお読みいただいた皆さんはすでにお分かりだと思いますが、要するに、これまで以上に激しくループをぶん回す、ということです。
この時点で顧客は9,300社を超え、翌月には10,000社の大台 に載せています。シリーズAで調達した5億円で行なった、「¥0プランの導入」「テレビCM」などの新規顧客獲得と、「カスタマーサクセスチームの設置」による顧客の定着策が功を奏したように思います。
ここでもう一度、2018年1月時点でのビジネスモデル全体を振り返ってみます。

投資家からの「資金調達」は、「利益・資金」を増やすわけですが、
- 「ブランドの信頼性」を高め、新規の顧客を獲得する内側のループ
- 「顧客のHR業務効率」を高め、「継続顧客数」を増やす外側のループ
の両方のループを回す流れが完成していることがわかります。
リリース前後は、内側の「ブランドの信頼性」ループを回すために、創業者の宮田氏がトップセールスに奔走していたわけですから、随分と状況が変わりましたね。
「継続顧客数」についても、当時の月間退会率は0.3% (つまり毎月99.7%の顧客が継続する)ということで、「顧客ロイヤリティ」と「スイッチングコスト」が十分に高まっているといえるでしょう。
中長期戦略としての「プラットフォーム化構想」
15億円の資金調達から8ヶ月後の、2018年9月11日に、SmartHRは自社イベントにて「プラットフォーム化構想」を発表 しました。
プラットフォーム化構想は、
- アプリストア「SmartHR Plus」の展開
- 外部連携サービスの強化
の2つが主な構成要素です。
ではなぜ、サービスのプラットフォーム化に舵を切ろうとしたのか?
その理由は、
- 顧客の増加による顧客ニーズの多様化への対応
が経営課題として持ち上がってきたからです。
ビジネスモデル図解に要素を書き加えると、以下のとおり。

この時点で、顧客は16,000社を超え、顧客の業種も従業員数もリリース時に比べると大幅に多様化しています。
つまり、
- 「継続顧客数」が増えると「顧客ニーズの多様性」が高まる
- 「顧客ニーズの多様性」が高まると、提供サービスと顧客ニーズの不一致が増加し「顧客のHR業務効率」の改善を抑制する効果が生まれる
ということ。
上図では、赤い線で表現したループへの対応が経営課題になっているということです。
これを抑制するのが、ループ上では、
- UX/UI改善活動(≒アプリストア「SmartHR Plus」の展開)
- 連携可能サービス数(=外部連携サービスの強化)
への投資となります。
また「連携可能サービス数」が増えることは、SmartHRだけでは満たすことができない機能を補うだけでなく、他のサービスを使用している顧客の「導入ハードル」を下げることにもつながります。
すでに他のサービスで入力したデータがSmartHRで使えたり、逆にSmartHRのデータを別のサービスと連携させたりできれば、導入する動機になるはずです。
2018年9月時点で、連携可能なサービスは12にのぼり、さらに執筆時点では40以上ものサービスと連携可能 となっています。
以下の記事では「プラットフォーム化構想」について、更に詳しく語られています。
Salesforceのアプリのようなイメージで、機能追加に外部リソースを利用して、SmartHR自体は「人事データベース」の側面を強くしていくとのこと。
会計ソフトの「freee」も同様のプラットフォーム戦略を進めています。
カスタマーサクセスの更なる強化
前回の5億円の資金調達の後に、体制を整えた「カスタマーサクセス」チームですが、今回の15億円の資金調達後には更に人数を増やしています。

こちらの資料 によると、5名体制だったカスタマーサクセスチームは、
- 2018年6月:7名
- 2018年12月:11名
- 2019年1月:12名
- 2019年6月:13名
と、わずか1年ほどで2倍以上に増やしています。
2018年12月時点で、顧客数が19,000社(前年の倍以上)まで増加 しており、カスタマーサクセスの増員は顧客体験を維持するには急務であることが伺えます。
人事労務研究所の設立
2019年7月に、SmartHRは「人事労務研究所」を設立しました。

- 人事労務のベストプラクティス(最も効率的で効果的な方法)の定義
- クラウド人事労務ソフト「SmartHR」の企画
- 学術的な観点から人事労務の分析
- 自社および子会社の労務業務
- 人事労務の新しいキャリアの構築・提供
の5つの役割を担うことが挙げられています。
こちらの動きについては、上記のループ図のとおり、
- 人事労務ノウハウ
を強化する動きであり、カスタマーサクセスの知見も併せて「顧客のHR業務効率」の向上につながります。
そしてこの設立の翌週、シリーズCラウンドの資金調達として61.5億円の資金調達が決まります。
61.5億円(シリーズC)の資金調達と大規模顧客への本格対応
2018年7月22日、SmartHRは61.5億円の資金調達 を行いました。
今回の「シリーズCラウンド」の資金調達は、安定して収益が得られるようになった企業が、上場(IPO)を目指して事業の拡大を行うための資金調達です。

ここまで一緒にビジネスモデルを見てきた皆さんであれば、この61.5億円を引き続き何に投資すべきかは一目瞭然ですよね。
プレスリリースでも、
このたび調達した資金は、SmartHRの開発費、SaaS事業において特に重要である人材の採用費・人件費、およびマーケティング費用に投資し、SmartHRの顧客基盤をさらに拡大してまいります。
と語れているように、外側・内側ループの両輪をしっかりと回していくことがわかります。
前回のシリーズBの15億円の調達後は、外側の「顧客のHR業務効率」を改善するループに注力していた印象でした(もちろん、マーケティングにもそれなりの資金を投入しているはずですが「相対的に」という意味です)。
そのため足元が固まった後のシリーズCでは、プロモーションにこれまで以上に力を入れるということかもしれません。
61.5億円の使い方の内訳 については、
結論から言うと「人件費・採用費」と「マーケティング費用」に投資します。比率はおそらく半々くらい。
ということで、ざっくり30億円ずつ投下するようです。
また、
2〜3年で61.5億円を使い切る予定です。前回のシリーズBの15億円も1年半できっちり使い切りました。
とも語っており、倍の期間で倍の投資を行うということは、これまで通りか、それ以上のペースで人材を増やしていくということになります。
更に、人材については「特に投資したい3つのポジション」として、
- カスタマーサクセスを年内2倍に
- エンジニア採用(いま一番のボトルネック)
- グローバル化するコーポレートチーム
を挙げています。
カスタマーサクセスとエンジニアは、外側の「顧客のHR業務効率」を改善するループを回す人材です。一方、グローバル化を推進するコーポレートチームについては、国外の市場で新規顧客を獲得するための布石であり、内側のループを回す人材になるでしょう。
カスタマーサクセスについて宮田氏は、
わかりやすく言うと「年内にカスタマーサクセスを2倍に」します。余剰投資かと思われるかもしれませんが、カスタマーサクセスの増員は顧客満足度の高さへと直結します。そして、顧客満足度の高さは、様々なかたちで事業に良い効果をもたらしてくれます。
と語っている とおり、外側のループを重要視していることがわかります。
大企業を担当するカスタマーサクセスユニットの誕生
シリーズC資金調達後に最初に手をつけたのが、カスタマーサクセス部門の人員増強と再編成です。
こちらの記事 によると、2019年7月に資金調達後にカスタマーサクセスを5名増やし、
- 中小企業を担当するSMB CSMユニット(6名)
- 大企業を担当する Enterprise CSMユニット(8名)
- CSMの活動基盤や運用環境を企画構築する CS Opsユニット(3名)
の合計18名という配置を行いました(残り1名は部門長)。
理由は、
- エンタープライズ領域のお客様の増加が見込まれる
- SMB領域のカスタマーサクセスの属人化がボトルネックになってきた
の2点が挙げられています。
ここで注目したいのが、大企業(エンタープライズ領域)の顧客増加への言及です。
導入企業の増加に伴い、ブランドやサービスの信頼性が向上した結果、誰もが知るような大企業の導入も徐々に増加しており、そのセグメントへの対応が喫緊の課題となっていたというわけです。
ビジネスモデル図解で表現すると以下のとおり。

「導入実績」も増え、「ブランドの信頼性」が向上した結果、大企業の導入も増加傾向(ループ右上)となっているSmartHR。
知名度の高い大企業が継続顧客となり「導入実績」に掲載できれば、「ブランドの信頼性」は一層高まることは間違いありません(内側のループ)。
その一方で、これまでは中小企業への対応が中心だったSmartHRは、大企業への対応はまだまだノウハウ不足です。そのままの体制では、大企業の顧客の「顧客体験」を向上させることは難しい。
もし大企業の顧客が離れてしまえば、「ブランドの信頼性」を醸成する内側のループの回転にブレーキがかかってしまいます。
そこで行ったのが、カスタマーサクセス部門を再編し、大企業を専門に対応するエンタープライズユニットを設置することでした(ループ右下)。
人員配置の変化は以下のとおり。
| 〜2019年6月 | 2019年7月〜 | |
| 顧客サポート | 3 | 0 |
| 中小企業担当 | 6 | 6 |
| 大企業担当 | 8 | |
| 企画・分析 | 1 | 3 |
元記事 には「COS(Customer On-boarding Specialist、顧客定着専門家)」「SMB(Small and Medium Business、中小企業)」「Enterprise(大企業)」「Ops(Operations、運営)」など、日常的にあまり目にしない言葉が多く使われていたので、上の表ではわかりやすく書き換えています。
顧客の大半を占める中小企業は、多くのノウハウが蓄積されているため、少ない人数でも対応が可能です。しかし、顧客体験を損なってしまうと継続顧客数の減少につながります。
そこで、
また、お客様のセルフオンボーディングを支援する新たなトレーニングプログラムの構築や、お客様同士で課題を解決できるオンラインコミュニティなども検討していくことになります。
といったように、顧客が自己解決できる仕組みづくりを対応策として打ち出しています。
一方、大企業に対してはまだまだノウハウが少なく、手厚い支援が必要になります。
大企業担当ユニットは8名と多いように感じますが、大企業は中小企業よりも売上高及び利益に占める割合が大きいため、コストをかけても中長期的には十分見合います。
2019年12月には、カスタマーサクセスの関西担当ユニット を立ち上げ、当初は関東中心だった顧客のエリア分布が変化してきたこともわかります。
その後も着実にカスタマーサクセスの採用を増やし、
- 2020年6月:32名
- 2020年12月:36名
となっています。
¥0プランの強化:30名以下の事業者は無料に
上記の施策で、大企業へのサポートを拡大したSmartHRでしたが、もちろん中小企業の導入拡大も怠りません。
2019年10月より、無料で利用可能な「¥0プラン」が従業員30名以下の事業所まで拡大 されることが発表されました。
「¥0プラン」の登場した当初は、上限が5名でしたが、その後10名に拡大し、今回30名が上限となりました。

2016年に登場した「¥0プラン」ですが、徐々に枠を拡大させているということは、
- 新規顧客獲得に効果が高い
- 有料プランの収益性が向上している(大企業含む)
といった要因があるように思います。
先ほどリンクしたプレスリリースでも触れられていますが、日本国内の8割以上の法人が従業員20名以下の小規模事業者です(ただし、人事労務の不要なひとり法人・ひとり親方も多く含みます)。
そのため、国内企業のほとんどを潜在顧客とすることが可能になりました。
なお「¥0プラン」は顧客サポートが受けられないため、カスタマーサクセスチームの負担は増えません。一方で、前述したトレーニングプログラムやオンラインコミュニティを充実させることで、顧客離れを防ぐことが可能になります。
2つのタイプのSmartHRのCM:マーケティングのテコ入れ
資金調達時の宣言通り、SmartHRはマーケティング(特に、プロモーション領域)にも再び大きな投資を行っています。
消費者として最もわかりやすいのがCMですが、2020年には2つのタイプのCMを投入しました。
- 実際のユーザーを取り上げたCM
- 芸能人を起用したドラマ形式のCM
の2つです。

新型コロナの影響によるテレワーク
まずは2020年4月28日から公開 された「入社手続きをテレワークで」というCM。実際のユーザーの声を拾う形で内容が構成されています。
世界中で新型コロナウイルスが流行し始め、テレワークが推奨される中、SmartHRのメリットを訴求する内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=ryKdKJpbgOY
非常にタイムリーで、社会的な問題への対応であることから、それなりに効果があったんじゃないでしょうか。
広告展開も、TV(関東圏・関西圏)、Web、タクシー広告等ということで、2017年の初CMが首都圏(関東圏)に限られたことを考えるとかなり広くなっています。
カスタマーサクセスの関西ユニットも稼働しているので、関西圏からの問い合わせがあっても迅速な対応が可能です。また、その他の地域でも「¥0プラン」の存在が受け皿として効力を発揮するはずです。
顧客の意思決定層に響く芸能人の起用
2020年8月8日から放映が始まったCM は、タレントの木梨憲武氏と俳優の伊藤淳史氏を起用しています。
バリエーションは、
の3つ。
放送エリアは、東京・大阪・名古屋・福岡・札幌・静岡・広島ということで、さらに広い範囲をカバーするCMになっています。
https://www.youtube.com/watch?v=G_RukTszHS4
このCMに起用された二人ですが、1988〜1990年にバラエティ番組内で放送された「仮面ノリダー」というコーナーで一斉を風靡しています。
Wikipediaの「仮面ノリダー」 のページでは、
『おかげです』のコーナーでも屈指の知名度を誇っており、小中学生の間では本家仮面ライダーを上回る人気を得ていた。
という説明もあるように、当時の小中学生に絶大な人気がありました。
当時、6〜15歳だった「仮面ノリダー」ファン達は、SmartHRのCMが放映される頃には36〜45歳になっています。
つまり、人事労務のシステム導入において、社内で意思決定権(決裁権)を持っている年齢ということです。
SmartHRのターゲット層にとっては、木梨氏と伊藤氏のツーショットに懐かしさを感じ、強く印象に残っているのではないでしょうか。
さらに、2020年10月3日から放映されたCM は、年末調整業務をテーマとして、
の2つが公開されました。
https://www.youtube.com/watch?v=rpUufy3NHoA
こちらも放映地域は、東京・大阪・名古屋・福岡・札幌・静岡・広島となっています。
このように、シリーズCの資金調達後は、ループの内側と外側をより大きな規模で回していることがわかります。
これらの取り組みの結果、顧客層は大きく変化を遂げます。
SmartHRが公開している資料 によると、2020年11月には顧客数が30,000社を超えたとのこと。
2018年と比較した、顧客の従業員規模の変化は以下のとおり。
| 顧客の従業員数 | 2018年5月 | 2021年5月 |
| 1000名未満 | 82.6% | 59.3% |
| 1000名以上5000名未満 | 13.0% | 26.2% |
| 5000名以上 | 4.4% | 14.5% |
1000名以上の大企業の割合が倍以上に増え、収益効率が大幅に改善していることが想像できます。
カスタマーサクセスの大企業担当ユニットの設置と、主要都市の人事労務担当者に訴えかけるテレビCMの放映という打ち手が非常にうまく機能したようです。
156億円(シリーズD)の資金調達とユニコーン化
2021年6月8日、SmartHRは156億円の資金調達 を行いました。この結果、ついに推定評価額1731億円に達し、日本国内6社目のユニコーン企業 となりました。
「シリーズDラウンド」の資金調達はシリーズCと同じく、上場(IPO)を目指して事業の拡大を行うための資金調達になります。
しかし、なぜSmartHRは156億円もの多額の資金調達ができたのでしょうか?
その鍵は、ARR(Annual Recurring Revenue、年間定期収益)の大きさにあります。
ARRとは、その企業が年間で安定的に得られる売上のこと。SmartHRでは、月額利用料の年間合計や年額利用料に該当し、顧客が解約しない限りは定期的に得られる収入を指します。
SmartHRのようなSaaS(Software as a Service)ビジネスでは、このARRが非常に重要な指標となるため、投資家も投資判断の材料として数値を注視しています。
これまでSmartHRが、顧客体験を改善し続け、継続顧客数を増やし、月次継続率を高い水準で保とうとしていることは、ARRの向上につながるわけです。SmartHRのビジネスモデル図で言えば、内側と外側のループが重なる場所になります。
そしてこのSmartHRのARRは、2021年には45億円に達することが公表 されました。2020年の同時期は、ARR 22億円だったということで、2倍以上に伸びています。この成長速度は、海外のユニコーン企業に引けを取らないスピードです。
このことが国内外の投資家の投資意欲を高めたことは間違いありません。実際に、156億円の大半は海外投資家から のものであると報じられています。

SmartHRが調達した156億円の使い道
今回の資金調達の目的としては、
当社は、調達した資金を活用し、人事・労務分野の業務効率化に加え、企業による「働きたいと思う環境の整備」のための人事・労務情報のデータ活用を強く推進します。(中略)また、上記の実現のため、採用強化やマーケティング活動への継続した投資も決定しました。
とプレスリリース で語られています。
- 採用強化
- マーケティング活動への継続した投資
については、これまでと同じですが、
- 人事・労務情報のデータ活用
については、シリーズBラウンドの15億円の調達後に発表された「プラットフォーム化構想」にもつながるところでしょう。
これをビジネスモデル図解に書き加えてみると、以下のとおり。

「継続顧客数」が増えるほど「人事労務データ」が蓄積されるわけですが、今度はこれを活用しようというわけです。
これまでの取り組みで、ビジネス基盤が固まった今、新たに調達した資金で「人事労務データ」を活用した新たなループを作り出すことになるでしょう。
社会に訴えかけるブランドムービーの公開
2021年8月18日に、「“働く”の100年史|100 YEARS of WORK in JAPAN」というタイトルの動画と特設サイト が公開されました。
1920年代からの100年の働き方の変化をまとめた動画で、年配の人には懐かしく、若い層には新鮮に感じる内容に仕上がっています。
SmartHRはこの動画を通して「働く」ということを消費者に問いかけています。そして、以降もSmartHRが「働き方」にまつわる社会的課題に取り組むことを宣言しています。
この動画はこれまでのような、新規顧客を増やすための動画ではなく、「人事労務効率化市場」全体においてブランド力や存在感を高めるための施策となっています。

おそらく今後もこういったプロモーションを行い、いわゆるPR(パブリック・リレーション、広報)についても資本を投下しながら、存在感を高めていくはずです。
SmartHR ユニコーン化までのビジネスモデル変遷まとめ:次はIPOか?
ということで、ここまでSmartHRというサービスが正式リリースされてから、ユニコーン化に至るまでの事業戦略とビジネスモデルの変遷をご紹介しました。
ここまでのビジネスモデル図解をまとめると、以下のとおり。

やはり、次なる戦略の要は「人事労務データ(ループ右下)」の活用です。
これまでの内側や外側のループにつながる施策であれば、直接的に市場占有率の向上につながります。他方、これまでのループに接続しないのであれば、新たなビジネスモデルの確立と収益性の拡大が求められます。
いずれにせよ、道筋が見えて来れば、次のステップはIPO(Initial Public Offering、新規公開株式)となるでしょう。
今後の戦略の打ち手がどうなるのかも楽しみですね。
また新しい動きがあれば、この記事に追記していく予定です。最新の記事については、Twitter(@dyzoconsulting) でもお知らせするので、ご興味のある方はお気軽にフォローください!
ここまで長文をお読みいただき、ありがとうございました!
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