マーケティングマイオピアとは、企業が製品を中心に考えようとする「製品志向」の自己欺瞞(ぎまん)に陥ってしまい、顧客が何を求めているかを考える「顧客志向」がおろそかになってしまう状態のことです。
1960年に、ハーバード大学ビジネススクール教授のセオドア・レビット氏が発表した論文「Marketing Myopia」で広まった考え方で、日本語では「マーケティング近視眼」や「近視眼的マーケティング」とも呼ばれています。
このマーケティング近視眼に陥ってしまう理由としては、
- 市場の拡大が確実なものと信じ切ってしまう
- 主要製品に対する代替品が存在しないと考えてしまう
- 大量生産によるコスト優位性に頼り切ってしまう
- 研究開発・製品改善・製造コスト削減に夢中になってしまう
の4つの原因が挙げられています。(レビット著「Marketing Myopia」より翻訳)
マーケティングマイオピアにならないためには、これらの4つの原因を避ける必要があります。
ここでは、レビット教授の論文「Marketing Myopia」を読み解きながら、マーケティング近視眼について解説します。
目次
マーケティングマイオピアとは?
マーケティング近視眼(マーケティングマイオピア)とは、
- 既存製品を中心に考える「製品志向(product-oriented)」に極端に傾倒してしまい、「顧客志向(customer-oriented)」的な視点がおろそかになってしまう状態
のことです。
「製品志向」や「顧客志向(マーケティング志向)」のより詳しい解説は、下記の記事をご覧ください。
マイオピア(Myopia)とは、医学的には「近視」という意味ですが、一般的には「視野の狭さ」というという意味で使われる英単語です。つまり、マーケティングマイオピアとは、マーケティングに対する視野が狭くなっている状態を表現しています。
この「マーケティングマイオピア」という考え方は、1960年に、ハーバード大学ビジネススクールの教授であるセオドア・レビット氏が、論文誌の「ハーバード・ビジネス・レビュー(Harvard Business Review)」に寄稿した論文「Marketing Myopia」で広まりました。
筆者の手元にあるものは、1975年に論文誌ハーバードビジネスレビューに再掲された上記の論文です。こちらは1960年のオリジナルの論文に加えて、レビット教授の回顧録も掲載されている記事になります。
またこの論文は、ハーバードビジネスレビューに何度も掲載されているようで、下記のリンクから2004年に再掲された時のものを有料でダウンロードすることができます。
参考 Marketing Myopia by Theodore LevittHarvard Business Reviewちなみに、1975年掲載分と2004年掲載分のいずれも、論文自体は1960年に発表されたものなので、どれを読んでも内容は同じです。
また日本語訳は下記の書籍に掲載されています。
マーケティングマイオピア(近視眼)の具体例
マーケティングマイオピアの具体例としてよく挙がるのが、
- アメリカ鉄道業界:事業を「輸送・移動」として考えることができず衰退した
- アメリカ映画業界:事業を「エンターテイメント」として考えることができず苦境に陥った
の2つの事例です。
論文内ではさらっと書かれているだけなのですが、理解を深めるために時代背景も併せて解説したいと思います。
アメリカ鉄道業界が衰退した例
まずは当時のアメリカの鉄道業界の状況を説明します。
この論文が書かれた1960年頃は、アメリカの鉄道業界は急速に衰退していました。
その理由は、
- アメリカでは第二次世界大戦前(~1939年)にモータリゼーション(車社会化)が完了していた
- 第二次世界大戦後(1945年〜)に航空輸送や自動車輸送が大きく発展した
ためです。
参考 モータリゼーション#アメリカ合衆国ウィキペディアその結果、それまで鉄道業界が受け皿となっていた旅客や輸送の需要が、自動車や航空機に取って代わられてしまいました。
この論文が書かれた頃には、経営の厳しさから多くの鉄道会社が旅客サービスから撤退しており、鉄道旅客事業を維持するために「全米鉄道旅客公社(通称:Amtrak、アムトラック)」が生まれました。
参考 アムトラックウィキペディアこういった時代背景の中、レビット教授が鉄道業界の衰退理由として「マーケティングマイオピア」に陥った可能性を挙げています。
レビット教授は、アメリカの鉄道業界は「鉄道事業」への製品志向が強すぎたため、航空輸送や自動車輸送の発展や、電話の普及(移動が不要になる)などの変化に対応できなかったと指摘します。
もし鉄道業界が顧客志向の考え方で「移動」という問題を解決する「輸送事業」と考えていれば、現在のような鉄道業界の衰退はなかったのかもしれません。
この点、日本の鉄道業界はアメリカとは大きく異なり、不動産などの都市開発や、バスやタクシーなどの電車以外の公共交通も手がけることで発展しています。「輸送事業」どころか生活インフラそのものを提供することで、日本の鉄道会社は大きく成長しました。
アメリカ映画業界が苦境に立たされた例
もう一つの事例は、アメリカの映画業界です。
論文が書かれる前の1950年頃は、アメリカの一般家庭にテレビが普及したことで、それまで活況だった映画館の動員数がどんどん減ってました。
参考 映画史#1950年代ウィキペディアテレビ番組自体も発展が著しく、多くの映画館が廃業に追い込まれたようです。
この時ハリウッドの映画業界は、テレビ業界を同じ「エンターテイメント事業」と考えることができずに、「映画業界」と「テレビ業界」のように線引きをして、顧客を奪う新しい勢力として対抗していたようです。
しかし顧客から見れば、どちらも数ある娯楽の一つであり、お互いに潰し合うことは望ましくありません。映画業界の企業が、「映画」という製品に対する「製品志向」が強かったために、マーケティングマイオピアのような状態に陥ったと言えます。
これは2010年代後半に動画サイト「YouTube」や動画配信サービス「Netflix(ネットフリックス)」や「Amazon Prime Video(プライムビデオ)」などが影響力を拡大した際に、テレビ業界が敵意を持って対抗しようとしたことにも似ています。
その他の例
レビット教授の論文には、鉄道業界や映画業界の例の他に、
- エネルギー業界と考えることができなかった石油業界の例
- 化学繊維の登場でブームが過ぎ去ったウールのドライクリーニング事業の例
- 白熱電球の登場で衰退したケロシン電灯の例
- スーパーマーケットの登場で衰退した街の食品雑貨店の例
などなど、様々なものが登場します。
これらの考えは、事業領域の「物理的定義」「機能的定義」にも共通する部分なので、こちらの記事もご覧ください。
マーケティングマイオピアに陥る4つの理由
レビット教授は、論文の中でマーケティングマイオピアに陥った企業を挙げるだけでなく、そのような状態に陥った理由も分析しています。
その4つの理由とは、
- 市場の拡大が確実なものと信じ切ってしまう
- 主要製品に対する代替品が存在しないと考えてしまう
- 大量生産によるコスト優位性に頼り切ってしまう
- 研究開発・製品改善・製造コスト削減に夢中になってしまう
です。
近視眼的マーケティングを避けるためには、上記の4つの理由に当てはまらないか気をつけることが重要です。
人口増加で市場が拡大し続けるという幻想
1つ目の理由は、人口増加によって市場の拡大が確実なものと錯覚してしまうことです。
世界人口は当時も今も増え続けています。そのため安定した成長市場に身を置いている企業は、増え続ける需要の中で、その増加が続くことが前提で事業運営をしがちです。
しかし実際は、人口が増えていたとしても市場の衰退は起こります。なぜなら「人口の増加 = 市場の拡大」ではないからです。もし新しい代替市場が生まれれば、人々はそちらの市場に移り、旧来の市場は衰退の道を辿りはじめます。
その原因となるのが、2つ目の理由でもある代替品の存在です。
代替品が存在しないという幻想
成長し続ける市場には、新しい企業が次々と参入してきます。しかしマーケティング近視眼に陥る企業は、すでに業界内で圧倒的な地位を築いていることが少なくありません。
拡大し続ける市場に、売れ続ける主要製品。そういった状況が続けば、自信を持って世に出している自分たちの製品に取って代わるものは存在しない、と錯覚しはじめます。
また新しく参入してくる企業も最初は小さな存在であるため、取るに足らない存在だと気に留めないことがほとんどです。
しかし技術革新やライフスタイルの変化によって、代替品は急速に頭角を現します。
なぜこんなことが起きてしまうかというと、次の2つのことが原因になります。
大量生産によるコスト優位性にあぐらをかいてしまう
代替品を軽んじてしまう1つ目の理由が、コスト優位性への強い自信です。
企業は成長するにつれて、
- 規模の経済性
- 範囲の経済性
- 経験曲線効果
などから、コストの優位性を手に入れます。
またコストの優勢を獲得すれば、コストリーダーシップ戦略で業界の主導権を握るようになります。
一方で、新しい技術や代替品は、登場して間もないときはコスト優位性がありません。そのため、既存の企業は代替品にあまり脅威を感じません。
既存製品の改善に夢中になってしまう
もう一つの理由が、
- 既存製品の更なる研究開発
- 既存製品の改善・改良
- 生産コストの削減施策
などが、事業活動の中心になってしまうことです。
もちろん、上記に挙げた事柄は悪いことではありません。既存の製品を改善することが、既存の顧客に対する価値向上につながります。
しかし、既存製品にのめり込みすぎると、既存製品への強い自信によって代替製品や新技術を軽んじたり、コスト優位性への過剰な依存に繋がることもあります。
これは和製英語の「プロダクトアウト」という考え方にも繋がります。
そのため、既存製品をよくすることに夢中になってしまうと、ビジネスを取り巻く環境の変化に鈍くなってしまい、結果的にマーケティングマイオピアにつながることになります。
マーケティングマイオピアの原因は自己欺瞞(ぎまん)
レビット教授は論文の中で、マーケティングマイオピアが起こる根本的な原因として、
- 自己欺瞞のサイクル(Self-deceiving Cycle)
を指摘しています。
自己欺瞞とは「自分で自分の心を欺く(あざむく)こと」です。
参考 自己欺瞞コトバンク既存の企業は、新しい技術や代替品が登場した時に、
- 自分たちは良い製品を作っているから大丈夫
- 製品の改善で顧客が喜んでいるから大丈夫
- 代替品よりもコスト優位性があるから大丈夫
などと、自分たちの不安をかき消すように物事をとらえがちです。
「もしかしたら」と望ましくない将来を想像しても、目の前の顧客の出来事を優先したい気持ちになります。
このように、業界内で自分たちの不安を自分たちで欺いて安心させる行為が、マーケティングマイオピアを引き起こして、業界の衰退を招くかもしれません。
後から歴史を見れば、
- なんであの企業は新市場に参入せずに廃業したのだろう
- なんであの企業は古い技術にすがって遅れをとったのだろう
などと考えてしまいます。
しかし「わかっていてもできない」ということはいつの時代も起こります。
レビット教授は1975年の回顧録で論文「Marketing Myopia」に対して、
A Manifesto, Not a Prescription
これはマニフェストであり、処方箋ではない。
セオドア・レビット「Marketing Myopia」1975年の回顧録より翻訳
と語っています。
つまりこのマーケティングマイオピアに関する考察は、企業に対する「処方箋」ではなく、企業が顧客に対する「声明文(マニフェスト)」なのです。
わかっていても陥ってしまうマーケティング近視眼を乗り越えて、企業が「顧客志向」を貫くためのマニフェストとして、この論文の教訓を活かすことが重要であるように思います。
マーケティングマイオピアまとめ
以下は、ここまで説明した内容を簡単にまとめたものです。
マーケティングマイオピアってどんな意味?
マーケティングマイオピア(マーケティング近視眼)は、
- 既存製品を中心に考える「製品志向」に極端に傾倒してしまい、「顧客志向」的な視点がおろそかになってしまう状態
のことで、マーケティングに対する視野が狭くなっている状況を指します。
マーケティングマイオピアに陥る原因は?
マーケティングマイオピアに陥りつつある企業は、
- 市場の拡大が確実なものと信じ切ってしまう
- 主要製品に対する代替品が存在しないと考えてしまう
- 大量生産によるコスト優位性に頼り切ってしまう
- 研究開発・製品改善・製造コスト削減に夢中になってしまう
という傾向にあります。
上記に挙げたような行動や考え方が社内で優先され、
- 自分たちは良い製品を作っているから大丈夫
- 製品の改善で顧客が喜んでいるから大丈夫
- 代替品よりもコスト優位性があるから大丈夫
という自己欺瞞(ぎまん)を持つ人が組織内に増えてくると「マーケティングマイオピア」に陥っていると言えます。